地球探検 アルゼンチン共和国 高山尚之隊員 5
第5回 南米と日系人 1 国づくりに貢献する日系人
世界的経済不況―。「派遣切り」のニュースで、よく話題となった、出稼ぎ日系人。この「日系人」と言われる人たちとは…。 「日本から海外に本拠地を移し、永住の目的を持ち生活している日本人並びにその子孫の二世、三世、四世等を『海外日系人』と呼び、国籍、混血は問わない。」((財)海外日系人協会より)
ここアルゼンチンに約3万5千人、最大規模のブラジルには約140万人にも及ぶ日系人が暮らす。(福島県人口205万人)移住当初から、「勤勉」「誠実」「高い規範意識」「学業優秀」との評価で、社会的地位や信頼度が、とても高い。今では医者や弁護士をはじめ、様々な職種で活躍する。
では、いつ頃何のために南米に渡ったのか。
日系人が最も多いブラジルに、移民船が到着して、昨年でちょうど100年。現地では、「移住100周年」を祝う数多くのイベントが催された。福島県の移民数は全国でも上位。昨年十一月の、県知事の南米訪問も、記憶に新しい。南米への移住は、80年程前から本格化。不況による就労機会の不足等が、特に農村部で大きな社会問題に。その解決のため、政府は「海外移住者」を広く募集。移住を決意した人々は、南米での豊かな生活を夢見て移民船に乗った。一方、1990年入管法改正以降、主に出稼ぎのために来日した日系人。「経済的成功や自立」を目的に海を越えた共通点は、単なる偶然だったのだろうか…。
『農業分野における日本移民、日系人の貢献は特記すべきものがある―』。(ブラジルの政府関係者の談話。数年前の、サンパウロ・ニッケイ新聞より。)首都移転の際、未開の地での、食料自給の政策に「多大なる貢献」と功績を称えた。国づくりというレベルでも、非常に高い評価を物語るエピソード。 移住当初、野菜栽培があまり普及してなかった南米で、ナス、キュウリ、ピーマン、キャベツなどをまず自給自足。以来、品質改良、栽培技術の開発、生産性の向上…。野菜の乏しかった、現地の一般家庭の食生活をも大きく変えた。アルゼンチンでは「花き栽培」も特筆。パラグアイでは「小麦、大豆」を、国の経済を支える主要輸出穀物になるまでに育て上げた。
日系人が、南米に根付かせた農作物を積んだ船。今日もまた、主に北米、欧州を目指して出航する。
オベラの町で毎年開催される「移民祭」。スタートを飾るパレードでは、各国の代表的な衣装をまとう。アルゼンチン国内でも、有名な祭りの1つで、全国にテレビ中継される。
(日系社会シニア・ボランティア 日本語教育 高山 尚之)