しらかわ-福島県県南地方-[観光情報][カテゴリ別-史跡]1
観光情報[史跡]
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白河の関跡(しらかわのせきあと) 悠久の歴史を刻む 歌枕の地
奥州三古関の一つであり国指定史跡にも指定されている白河の関は、蝦夷の南下を防ぐ砦として大和朝廷により5世紀頃設けられたといわれていますが、設置の年代には諸説あります。やがてその機能は失われ平安時代頃に廃関となりますが、その後も東北への玄関口として人々の記憶に受け継がれ、歌枕の地として能因法師や松尾芭蕉などの多くの文化人が訪れました。他にも、源義経が頼朝の挙兵の際に立ち寄り戦勝を占ったとされる矢立の松や、戦勝祈願をした際に源氏の旗をかけたと言われる旗立の桜など、義経にまつわる数多くの伝説や歴史もあり、人気の観光スポットとなっています。また敷地内に鎮座する白河神社では、鎌倉初期に従二位藤原家隆が手植し奉納したと伝えられる樹齢800年の従二位の杉があり、その存在感は圧巻です。
所在地 | 〒961-0038 白河市旗宿白河内地内 |
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問合せ先 | 白河観光物産協会 |
Tel | 0248-22-1147 |
Fax | 0248-22-0117 |
料金 | 無料 |
白河小峰城(しらかわこみねじょう) 町の歴史を見つめ続ける白河のシンボル
白河市のシンボルとして愛される白河小峰城は、興国元年(1340年・南北朝時代)結城親朝により築城され、寛永9年(1632年・江戸時代)白河初代藩主の丹波長重が築城技術を尽くして完成させた、江戸時代の代表的な梯郭式平山城です。戊辰戦争で大部分を焼失しますが、その後平成3年に三重櫓、平成6年には前御門が史料や古図面などを基に木造で復元されました。復元には、戊辰戦争時激戦地であった稲荷山の杉の大木が使用されているため、床や柱に当時の弾痕を見ることができます。総石垣造りの城壁は美しく見ごたえがあり、鶴ヶ城(福島県会津若松市)や盛岡城(岩手県盛岡市)と並び東北三名城や日本の名城100選にも認定されています。
所在地 | 〒961-0074 白河市郭内1 |
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問合せ先 | 白河観光物産協会 |
Tel | 0248-22-1147 |
Fax | 0248-22-0117 |
営業時間 | (4月~10月)9時30分~17時00分 (11月~3月)9時30分~16時00分 |
定休日 | 年末年始 |
料金 | 無料 |
翠楽苑(すいらくえん)
翠楽苑は、白河藩主松平定信公(楽翁公)の庭園思想を現代に受継ぎ、南湖公園の一角に築庭されました。中央に池、周囲に園路を配した池泉回遊式日本庭園となっており、日本庭園を眺めながら呈茶を楽しめる「松楽亭」や、茶人でもあった定信公ゆかりの茶室の「秋水庵」があり、日本の伝統文化を堪能することができます。毎年8月に開催される夜の茶会「灯篭茶会」では、池には500基の灯篭、通路には蝋燭が灯され幻想的な雰囲気の中お茶を楽しむことができます。外国人のお客様も訪れ、夏の風物詩として人気があります。また、赤松・楓・樫など高中木59種約4,000本が植えられており、季節ごとに違った彩りの日本庭園を満喫できます。中でも、7月から8月の早朝にかけて咲く古代蓮は見事で、開花に合わせて早朝無料開園も行われています。
所在地 | 〒961-0815 白河市五郎窪45-1 |
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問合せ先 | 翠楽苑管理事務所 |
Tel | 0248-23-6888 |
Fax | 0248-23-6788 |
営業時間 | (4月~11月)9時00分~17時00分 (12月~3月)9時00分~16時30分 |
定休日 | (12月~2月)第2水曜日(祝日の場合翌日) (3月、7月)第2水曜日、木曜日(祝日の場合翌日) 年末年始 |
料金 | 大人350円 小中高生170円 (抹茶と入園料セット 大人850円 小中高生700円) |
HP | http://shirakawa315.com/suirakuen/ |
共楽亭(きょうらくてい)
共楽亭は、日本最古といわれる南湖公園の北側に建つ茶亭です。亨和元年(1801年・江戸時代)に白河藩主松平定信が南湖を造園した際、その一角に設けられました。この茶亭からは西に那須連峰、東に関山を望むことができ、当時とほぼかわらない眺望を保っています。八畳二間の木羽葺・寄棟造りで鴨居や敷居がなく、通常より広い茶室となっていますが、それは、多くの者と身分の差なく語り合うという定信公の考えによったと伝えられています。「山水の 高きひききも 隔てなく 共に楽しき 円居すらしも」という定信公が詠んだ和歌にも、そのような士民共楽の思想があらわれています。また、定信公はここで孫を膝に抱き一緒に遊んだという記録も残っています。 定信公がこよなく愛したこの茶亭は、白河市の重要文化財(建造物)に指定されています。
所在地 | 〒961-0812 白河市字南湖池内 |
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問合せ先 | 白河市建設部文化財課 |
Tel | 0248-27-2310 |
Fax | 0248-27-2256 |
料金 | 無料 |
硯石磨崖三十三観音(すずりいしまがいさんじゅうさんかんのん)
硯石磨崖三十三観音(すずりいしまがいさんじゅうさんかんのん)は、730年(天平2年)聖武天皇の勅願寺として行基菩薩が開山したと伝えられる関山満願寺の参道入口にひっそりと佇んでいます。三十三観音は、観音菩薩が人々の救済のために姿を変えて現れると言われています。江戸時代中期に彫られたと推定されるこの三十三観音磨崖仏群には、阿弥陀三尊の来迎像をはじめ、大日如来・如意輪観音、千手観音、馬頭観音などが自然の岩々に刻まれており、当時の人々の信仰心の篤さをうかがい知ることができます。
所在地 | 〒961-0403 白河市表郷番沢字硯石地内大平1 |
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問合せ先 | 白河観光物産協会 |
Tel | 0248-22-1147 |
Fax | 0248-22-0117 |
料金 | 無料 |
境の明神(さかいのみょうじん)
旧奥州街道に沿って、福島・栃木の県境に明神二社が祀られています。この二社、どちらも玉津島神社なのですが、東北側から見た場合、福島県側にあるのが玉津島神社、栃木県側にあるのが住吉神社となっています。しかし関東側から見るとその呼び名が入れ替わるという、ちょっと変わった神社です。いつからか二つあわせて「境の明神」とよばれるようになり、女神・衣通姫(玉津島明神)と男神・筒男命(住吉明神)がそれぞれに祀られています。女神は内(国を守る)、男神は外(外敵を防ぐ)という信仰に基づいているため、当時の陸奥・下野ともに自らの側から祀られていたようです。境の明神は、おくのほそみち自然歩道で芭蕉の足跡をたどりながら散策することができ、境内には芭蕉の句碑や歌碑なども多数並んでいます。
所在地 | 〒961-0853 白河市白坂明神 |
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問合せ先 | 白河観光物産協会 |
Tel | 0248-22-1147 |
Fax | 0248-22-0117 |
料金 | 無料 |
白川城跡(しらかわじょうあと)
白川城、別名:搦目(からめ)城は白河市の東、阿武隈川を一望できる丘陵の藤沢山にあり、面積は345,885.41平方メートルを有します。文治5年(1189年・鎌倉時代)、源頼朝の奥州征伐に参加して巧名をたてた結城朝光は、その恩賞として白川庄の地頭となりました。その後、朝光の孫祐広が正応2年(1289年・鎌倉時代)に下総結城より移住して白川城を築城、本拠地としました。南北朝時代になると奥州結城氏はさらにその勢力を広げ、7代目直朝の頃に最盛期を迎えました。しかし戦国時代12代目義顕の時に、長年敵対していた小峰城主・小峰義親に追われて会津に落ち、そのため白川城も廃城となりました。
所在地 | 〒961-0044 白河市藤沢山 |
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問合せ先 | 白河市建設部文化財課 |
Tel | 0248-27-2310 |
Fax | 0248-27-2256 |
料金 | 無料 |
感忠銘(かんちゅうめい)
感忠銘碑は、白川城の東部搦目(からめ)山にある高さ7.6m・幅2.7mの日本有数の磨崖碑です。文化4年(1807年・江戸時代)、搦目の庄屋内山官左衛門重濃が、南朝時代の名将結城宗広・親光親子の忠烈を後世に伝えようと考えました。そこで、岩壁に白河藩の儒学者広瀬典の撰文「賀孝啓一千里啓」を記し、題字として、白河藩主松平定信より与えられた「感忠銘」の三文字を刻みました。残念ながら風化が進んでおり崩落の危険があるため、現在は立ち入り禁止です。遠目からは「感忠銘」の三文字だけ読み取ることができ、全文は白河市歴史民俗資料館に拓本で収められています。
所在地 | 〒961-0051 白河市搦目 |
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問合せ先 | 白河市建設部文化財課 |
Tel | 0248-27-2310 |
Fax | 0248-27-2256 |
料金 | 無料 |
丹羽長重廟(にわながしげびょう)
寛永4年(1627年・江戸時代)、白河に入封して初代藩主となった丹羽長重は、将軍徳川秀忠の命により町割りの改良整備や白河小峰城の改築などに力を注ぎ、現在の白河市の町の基礎を作りました。その長重が寛永14年(1637年・江戸時代)に死去した際、葬られたのがこの丹波長重廟です。白河駅より南方、小南湖の奥の丘陵中腹にある円明寺境内にあり、奥には白河藩主松平(結城)直矩・基知の墓所もあります。霊廟拝殿は天保7年(1836年・江戸時代)に再建されたもので、桁行4間・梁間2間の入母屋造りです。白河市指定の重要文化財となっています。
所在地 | 〒961-0921 白河市円明寺地内 |
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問合せ先 | 白河観光物産協会 |
Tel | 0248-22-1147 |
Fax | 0248-22-0117 |
料金 | 無料 |
安珍堂(あんちんどう)
歌舞伎などでも演じられる悲恋の物語として有名な道成寺の物語、その主人公である安珍僧生誕の地が白河根田地区ということで、ここにその像を祀った安珍堂が建立されました。修行僧安珍が和歌山県熊野山で修行の際出逢った清姫に一目惚れされます。しかし修行中の身であった安珍は再会の約束を破ってしまい、それに激怒して蛇身と化した清姫は、安珍が逃げ込んだ道成寺を梵鐘ごと焼き尽くしてしまうという話です。地元有志の意向により、安珍像は昭和60年、その舞台ともなった和歌山県の道成寺から遷座されました。お堂の近くには「安珍の墓」や「安珍堂の桜」もあります。毎年安珍の命日である3月27日の「安珍忌」には、安珍堂前で県指定重要無形民俗文化財「安珍歌念仏踊」が奉納されています。
所在地 | 〒961-0004 白河市萱根根田 |
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問合せ先 | 白河観光物産協会 |
Tel | 0248-22-1147 |
Fax | 0248-22-0117 |
料金 | 無料 |
庄司戻し桜[霊桜碑](しょうじもどしさくら[れいおうひ])
庄司戻し桜(霊桜碑)は、市指定の史跡です。伝記によると、治承4年(1180年・平安時代後期)、源義経は平家追討のため平泉から鎌倉に向かいました。これを知った信夫(福島)の庄司佐藤基治は、息子の継信・忠義兄弟を従わせるため、この地まで見送りに来ました。その際、基治は手にしていた桜の枝を地面に挿し、「吾児君に忠ならば生よ、若し不忠ならば枯れよ」と言ったと伝えられています。後に佐藤兄弟は勇猛な戦いぶりで源氏側を勝利に導き、それぞれに立派な最期を遂げました。桜は主君義経に対する兄弟の忠義を称えるかのように見事に根付き、花を咲かせるようになったと伝えられています。現在ある桜は江戸時代に焼失したあとに芽吹いたものといわれており、見頃を迎える4月中旬になると美しく咲き誇ります。
所在地 | 〒961-0401 白河市表郷中野庄司戻 |
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問合せ先 | 白河市表郷庁舎 |
Tel | 0248-32-4785 |
Fax | 0248-32-2234 |
料金 | 無料 |
和泉式部庵蹟と化粧の井(いずみしきぶあんせきとけしょうのい)
和泉式部庵蹟と化粧の井は、白河市指定の史跡です。平安時代の女流歌人和泉式部は、重病の父を見舞うため帰郷する道中、士族の争いを避けるためにこの地に留まったと伝えられています。和泉式部は争乱が早く鎮まるようにと、草庵を作って阿弥陀尊像を祀り待ちました。現在その像は、白河市にある常宣寺に納められています。その間、「白河の関にこの身は留めども心は君の里にこそゆけ」という一首を詠んで父に送りましたが、結局会えないまま京に帰洛したといわれています。近くには、和泉式部が化粧をしたといわれる井戸「化粧の井」も残っています。
所在地 | 〒961-0401 白河市表郷中野字式部内 |
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問合せ先 | 白河市表郷庁舎 |
Tel | 0248-32-4785 |
Fax | 0248-32-2234 |
料金 | 無料 |
建鉾山祭祀遺跡(たてほこやまさいしいせき)
建鉾山は円錐形をした標高403mの小さな山です。古代、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が蝦夷征伐に赴く際、この山頂にあった岩に自らの鉾を立てて神に勝利を祈りました。この岩は『建鉾石』と呼ばれており、傍には小さな石祠も建っています。ここから下ったところには高さ数十mの一大巨岩群があり、そこからさらに40m程下の一帯からは、5世紀中頃のものと推定される鉄製の武器や銅鏡、石製模造品の鏡・農具、勾玉や土器片などが出土しました。安政3年(1856年・江戸時代)に作られた地図によると、この出土場所は「御宝前」という名で区切られており、どうやら五穀豊穣や安全を祈願する巨石信仰の祭祀場とされていたようです。江戸時代には立ち入り禁止となっていたようですが、昭和33年に遺跡などが発見されました。建鉾山祭祀遺跡は、東北最古・最大の遺跡といわれ市指定の史跡となっています。
所在地 | 〒961-0414 白河市表郷高木字高野峯山 |
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問合せ先 | 白河市建設部文化財課 |
Tel | 0248-27-2310 |
Fax | 0248-27-2256 |
料金 | 無料 |
勝花亭(しょうかてい) 甲子の絶景が一望できる、白河の名藩主・松平定信公の別荘
勝花亭(しょうかてい)は、白河城主・松平定信の別荘ともなっていた木造の建物です。甲子温泉郷のある西郷村の重要文化財に指定されています。定信公は、「白河に至りて甲子の山見ざらんは孔子の門を過ぎて堂に入りて室に入らざるが如し」と白河藩主時代の見聞に記しており、この地を好んで訪れていたことがうかがえます。室内からは阿武隈川や甲子山が一望でき、現在は大黒屋旅館の離れとして使われています。
所在地 | 〒961-8071 西白河郡西郷村大字真船字寺平 |
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問合せ先 | 西郷村産業振興課 |
Tel | 0248-25-1116 |
剣桂(けんかつら) 鬼退治の伝説が残る樹齢370年の大木
剣桂(けんかつら)は、高さ45m・幹の太さ9.7mもある桂の木で、推定樹齢は370年といわれています。伝説によると、この地に住み人々を苦しめた鬼神が、白河藩主・松平定信公の剣によってこの桂の木に封じ込められたとされています。後に旅人などから「剣桂」と呼ばれるようになり、とても厚い信仰を集めました。そばには、祠が祀られています。森林文化協会の「森の巨人たち100選」にも選ばれました。これは保護活動事業の一環で、国有林の中から地面から高さ1.2mの地点の幹の太さが1m以上あることや地域のシンボルとして親しまれていることを条件に選定されています。根本から幾本にも分かれ堂々と屹立する姿は、奇岩や滝が点在する新甲子遊歩道を散策しながら見ることができます。
所在地 | 〒961-8071 西白河郡西郷村真船 |
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問合せ先 | 西郷村産業振興課 |
Tel | 0248-25-1116 |
泉崎横穴(いずみざきよこあな)
泉崎横穴は、7世紀前半(古墳時代後期)につくられた古墳と推定され、国の史跡に指定されています。昭和8年(1933年)東北地方で最初に発見された横穴式装飾古墳で、北九州に多いとされるこの形式が内陸部において発見されることは珍しく、その経緯は現在も謎に包まれています。副葬品として、直刀や刀子(とうす)、銅環などが出土し、玄室(遺体をおさめる部屋)の天井と側壁に、動物・騎馬人物・男女の人物像・馬などが朱色で描かれています。泉崎横穴は年に1回、10月の第2土曜日に一般公開されるほか、泉崎資料館にて壁画正面部分の実物大写真パネルが展示されています。
所在地 | 〒969-0101 西白河郡泉崎村大字泉崎字白石山地内 |
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問合せ先 | 泉崎資料館 |
Tel | 0248-53-4777 |
Fax | 0248-53-4778 |
料金 | 無料 |
関和久遺跡(せきわくいせき)
ここ関和久遺跡からは、建物の跡や多数の瓦、漆紙や木簡の書類などが見つかっています。それらによると、この地は奈良・平安時代における役所として中心的役割を果たしていたとみられています。当時では大変珍しい掘立柱建物という建築様式が用いられており、湿気対策をも考慮した建造物であったとされています。遺跡調査により、柱が赤く染められていたことや同じ場所に繰り返し建て直されていた事も判明しました。役所跡は国の史跡、出土品は福島県の重要文化財に指定されており、古代の白河を知る手がかりとしてさらなる調査が進められています。
所在地 | 〒969-0102 西白河郡泉崎村関和久地内 |
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問合せ先 | 泉崎村産業係 |
Tel | 0248-53-2430 |
Fax | 0248-53-2958 |
料金 | 無料 |
踏瀬観音山磨崖供養塔婆群(ふませかんのんやままがいくようとうばぐん)
この磨崖供養塔婆群は、鎌倉時代に作られたものと見られる供養碑で、白河市や矢吹町にある磨崖仏群とは少し形が異なります。露出した岩壁に彫ってあるのは観音様などの仏像ではなく、亡くなられた人の塔婆そのもので、大小320程もある塔婆の中には弘安8年(1285年・鎌倉時代)に彫られた文字も発見されています。東北地方における中世仏教の遺産として重要視されており、福島県の重要文化財にも指定されています。現在は真上に東北自動車道が通っており、中世と現世の雰囲気が融合した一風変わった史跡となっています。
所在地 | 〒969-0105 西白河郡泉崎村大字踏瀬字観音山1 |
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問合せ先 | 泉崎村産業係 |
Tel | 0248-53-2430 |
Fax | 0248-53-2958 |
料金 | 無料 |
汗かき地蔵(あせかきじぞう) 汗をかいて危険を知らせる村の守り地蔵
汗かき地蔵は、天変地異が起こりそうになると体から汗を流して人々に危険を知らせたそうで、古くから地元の住民たちに篤く信仰されてきました。高さ約170cmの座像で、背面には建武2年(1335年・室町時代)に建立された旨が刻印されています。「奥州汗かき地蔵」とも呼ばれ、江戸時代末期までは参拝客が後を絶たなかったと伝えられています。毎年4月になると「代畑地蔵まつり」が開かれ、地域の人々で賑わう中、無病息災や五穀豊穣を願って「汗かき地蔵太鼓」が奉納されます。昭和50年(1975年)には中島村の重要文化財第一号に指定されました。
所在地 | 〒961-0102 西白河郡中島村大字滑津字代畑 |
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問合せ先 | 中島村企画振興課 |
Tel | 0248-52-2113 |
Fax | 0248-52-2170 |
料金 | 無料 |