しらかわ-福島県県南地方-[観光情報][地域別-棚倉町]
観光情報[棚倉町]
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カテゴリ別 || 自然 | 史跡 | 神社・仏閣 | 文化 | 温泉 | スポーツ | 食べる | 土産
ルネサンス棚倉(るねさんすたなぐら) 豊かな自然に囲まれてスポーツ三昧
大自然に囲まれたルネサンス棚倉は、テニス・乗馬・インドア温水プール・トレーニングジム・多目的広場・体育館・文化ホール・ゴルフ場・町営総合グランドを完備する総合スポーツ施設で、一年を通してたくさんの人々が訪れます。フィットネスクラブ・テニススクール・アクアクラブ・スイミングスクール・乗馬クラブなどでは、多数のコーチとインストラクターによるレッスンが受講できます。また、楽しみながら健康づくりができる10種類の浴槽も人気があり、シェイプアップ・肩凝り・ストレス解消などの目的別に入浴コースプログラムも用意されています。弱アルカリ単純泉の温泉をひいているため、健康増進・神経痛・リウマチ・疲労回復にも効果があります。レストランでは、旬の食材を用いた多彩な料理が楽しめます。宿泊施設も整っており、研修・体験学習・林間学校・オリエンテーションなど幅広い目的で利用できます。
所在地 | 〒963-6123 東白川郡棚倉町関口字一本松43-1 |
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Tel | 0247-33-4111 |
Fax | 0247-33-7100 |
定休日 | 無休 |
料金 | 施設により有料 |
HP | https://hotel-renaissance-tanagura.com/ |
山本不動尊(やまもとふどうそん) 弘法大師開闢の霊験あらたかな不動尊
山本不動尊は、大同2年(807年・平安時代)弘法大師が東北行脚でこの地に訪れたとき、住民を苦しめていた悪鬼を払いのけるために護摩壇を築いて祈祷したことが起源といわれています。不動明王を本尊とし、130段もの石段を登りきると現れる奥の院に、その尊像が納められています。また、奥の院後方の岩肌には不動明王の尊顔が浮かび上がっている箇所があり、霊験あらたかな雰囲気をさらに高めています。参道には樹齢100年を超える大きな杉の木が立ち並び、秋には美しい紅葉がライトアップされるなど、雄大な自然に囲まれた山本不動尊には、元朝大護摩祈祷や節分会豆まき式などをはじめ、年間を通して大勢の参拝客が訪れています。
所在地 | 〒963-5685 東白川郡棚倉町大字北山本字小檜沢94-2 |
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Tel | 0247-33-2445 |
Fax | 0247-33-4156 |
料金 | 無料 |
HP | http://www.yamamotofudouson.or.jp/ |
棚倉城跡(たなぐらじょうせき) 古城の名残をのこす桜の公園
元和8年(1622年・江戸時代)丹羽長重は常陸国古渡より棚倉に入封、赤舘城を住まいとしていました。しかし寛永2年(1625年)に幕府からの命令を受け、当時この地にあった都々古別神社(近津明神)を馬場に遷宮して、その跡地に棚倉城を築きました。約240年に渡り8家16代の城主が交代した棚倉城でしたが、慶応4年(1868年)戊辰戦争によって古町とともに戦火で焼失、落城しました。別名亀ヶ城とも呼ばれており、お濠に住む大亀が水面に浮かぶと決まって殿様が国替されたということに由来しているそうです。他にも様々な呼び名があり、城の壁が荒土のままだったことから新土城、近津明神の跡地に建てたため近津城とも言われていました。現在は公園となっており、季節にはお濠沿いに植えられた桜や土塁のツツジが訪れる人々を魅了しています。
所在地 | 〒963-6131 東白川郡棚倉町棚倉城跡 |
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問合せ先 | 棚倉町観光協会 |
Tel | 0247-33-7886 |
Fax | 0247-33-3715 |
料金 | 見学自由、無料 |
赤館城跡(あかだてじょうあと)
久慈川がゆるやかに流れる町並みを見渡す高台に、赤館城跡があります。築城に関わる詳細は未だ判明していませんが、南北朝時代~室町時代は代々赤舘氏によって統治されていたようです。戦国時代から長年にわたって、この赤舘城を含む棚倉一帯は伊達氏・佐竹氏・白河結城氏の勢力争いの舞台となりました。しかし天正18年(1590年)、豊臣秀吉の「奥州仕置」により白河結城氏は消滅し、その後赤舘を支配した佐竹氏も、関が原の合戦で中立を貫いたため徳川幕府の命により秋田へ転封、棚倉は幕府の直轄地となりました。元和8年(1622年・江戸時代)には二代目藩主として丹羽長重が入封し城主となりましたが、その後棚倉城を構えたため赤舘城は廃城となりました。現在は赤舘公園として整備され、春には300本もの桜が一斉に開花します。
所在地 | 〒963-6100 東白川郡棚倉町風呂ヶ沢41-8 |
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問合せ先 | 棚倉町観光協会 |
Tel | 0247-33-7886 |
Fax | 0247-33-3715 |
料金 | 見学自由、無料 |
流の廃堂跡(ながれのはいどうあと)
東西南北を壮大な山々に囲まれ、久慈川のせせらぎが堪能できる立地にある流の廃堂跡は、標高約80mの東山(流山)山頂に建てられた山岳寺院でした。修練道場的な役割も果たしていたとみられ、その規模は奈良の法隆寺や唐招提寺と同等であったと考えられています。建立は平安時代と推定され、町教育委員会の調査によって金堂跡の礎石や仏像を安置する須彌壇、参道の跡なども見つかっています。さらには、当時大変貴重だったという金・銀を用いた「金銀象嵌鉄剣(きんぎんぞうがんてっけん)」が発見され、県重要文化財に指定されました。しかし具体的な使用目的などはいまだ判明しておらず、今後も調査がなされるようです。
所在地 | 〒963-5663 東白川郡棚倉町流字東山 |
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問合せ先 | 棚倉町教育委員会 生涯学習課 |
Tel | 0247-33-0111 |
料金 | 見学自由、無料 |
新田義貞の墓(にったよしさだのはか)
南北朝時代の名将・新田義貞は、公家と武家の争いにおいて才覚を現し歴史にその名を残しています。義貞の墓は正確な所在が未だ判明しておらず、縁のある福井・群馬・京都など複数の地に墓や供養塔が存在します。ここ棚倉もそのうちの一つで、義貞の妻・勾当内侍(こうとうのないし)が夫の死後、難を逃れるためやってきたと伝えられています。勾当内侍のその後についても諸説ありますが、この地域では、尼となり蔵光寺に義貞の墓を建てその首を葬ったという説が語り継がれています。
所在地 | 〒963-6141 東白川郡棚倉町富岡字寺ノ前531 |
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問合せ先 | 棚倉町観光協会 |
Tel | 0247-33-7886 |
Fax | 0247-33-3715 |
料金 | 無料 |
天狗党の墓(てんぐとうのはか)
幕末動乱期の元治元年(1864年・江戸時代)3月、水戸藩内の尊皇攘夷派藤田小四郎らを中心として筑波山で挙兵したのが天狗党です。しかし中隊の隊長であった田中愿蔵は、倒幕に踏み切れない小四郎らと間もなく対立、天狗党を離れて独自の隊をつくり各地を転戦し、最後は八溝山にこもります。そして同年10月食糧も尽き果てた田中隊は解散し、その一部が八溝山北口山道から現在の棚倉町大字高野地内に下山してきました。そこで待ち構えていた棚倉藩兵たちによって捕えられ、同地の段河内原野に於いて二十数名が処刑されました。当時の棚倉藩主松平周防守康英が処刑地に「三界万霊塔」の供養碑を建立しました。現在この地は天狗平と称され、その名残をとどめています。
所在地 | 〒963-6145 東白川郡棚倉町大梅 |
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問合せ先 | 棚倉町観光協会 |
Tel | 0247-33-7886 |
Fax | 0247-33-3715 |
料金 | 無料 |
馬場都々古別神社(ばばつつこわけじんじゃ)
江戸時代から、久慈川沿いに並んで鎮座する八槻都々古別神社・近津神社と合わせて「近津三社」と呼ばれているこの馬場都々古別神社は、そのうちの上之宮にあたります。その昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)が蝦夷征伐に赴く際、現在の表郷・建鉾山に自らの鉾を祀ったことが始まりといわれ、大同2年(807年・平安時代) 坂上田村麻呂によって棚倉に移されました。しかし寛永元年(1624年・江戸時代)棚倉城築城に際し、白河藩主・丹羽長重によって御神体は現在の地に遷宮されました。白河初代藩主の丹羽長重を始め、足利義満や豊臣秀吉、徳川水戸家など多くの武将が参拝に訪れ、武具や刀剣なども奉納されました。中でも鎌倉時代に源義家が寄贈したといわれる「長覆輪太刀二口」と「赤糸威鎧残闕」は、国指定文化財として収められています。境内には樹齢数百年の神木がそびえたち、変わりゆく歴史を静かに見守っています。
所在地 | 〒963-6131 東白川郡棚倉町大字棚倉字馬場39 |
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八槻都々古別神社(やつきつつこわけじんじゃ)
江戸時代から、久慈川沿いに並んで鎮座する馬場都々古別神社・近津神社と合わせて「近津三社」と呼ばれているこの八槻都々古別神社は、そのうちの中之宮にあたります。伝承によると、日本武尊(やまとたけるのみこと)が八溝山にて苦戦を呈していた折、守護三神が現れ建鉾山より箭 (矢)を放ちました。その箭 (矢)が落ち着いた場所を「箭津幾(やつき)」とし都々古別神社を創建、勝利を祈願したと伝えられています。農耕を司る神が祀られており、毎年旧暦1月に奉納される能・狂言風の舞「御田植祭」は、五穀豊穣を祈る神事で、国指定の無形民俗文化財となっています。国の重要美術品に指定されている木造十一面観音立像や同鉢など、貴重な文化財が多く残されています。また参堂の左側には、夫婦のように寄り添って立つ杉があり、縁結びの杉として知られています。
所在地 | 〒963-5672 東白川郡棚倉町大字八槻字大宮224 |
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宇迦神社(うがじんじゃ)
起源は神亀年間(724~729年・奈良時代)といわれており、初代棚倉藩主・立花宗茂公により現在の地に移築されたのち、元禄14年(1701年・江戸時代)棚倉5代目藩主・内藤弌信公によって今ある社殿に建て替えられました。江戸時代には、新しい藩主が着任する際まずこの宇迦神社にお参りするよう定められていました。現代でも、町の鎮守として地元の人々に親しまれており、元旦にはたくさんの参拝客が初詣に訪れます。また、毎年10月中旬に町を挙げて盛大な秋祭りが行われ、宇迦神社から繰り出す神輿や、迫力ある山車の大曳きあいを一目見ようと、大勢の見物客で賑わいます。
所在地 | 〒963-6131 東白川郡棚倉町大字棚倉字風呂ケ沢地内 |
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蓮家寺(れんげじ)
樹齢370年といわれる大ケヤキが目を引く蓮家寺は、慶長8年(1603年・江戸時代)熱心な念仏信者だった蓮池主水・糟家彌兵衛によって建立されました。この地で最初の浄土宗寺院といわれており、発起人である2人の姓をとって「蓮家寺」となりました。棚倉藩主であった内藤信照公らによって代々手厚く保護され、慶安元年(1648年)には徳川3代将軍家光公より御朱印状も授けられています。火災や戦災で本堂等を失いましたが、安永4年(1775年)に建てられ今なお古い佇まいを残す山門は、棚倉町の重要文化財に指定されています。国指定重要文化財の銅鐘は、およそ350年前から現在に至るまで毎日午前11時に打ち鳴らされ、人々の心のよりどころとして親しまれています。
所在地 | 〒963-6131 東白川郡棚倉町大字棚倉字新町129 |
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長久寺(ちょうきゅうじ)
長久寺は、宝永4年(1707年・江戸時代)棚倉5代藩主・太田資晴公によって創建され、山門には当時資晴公の居城であった棚倉城二の丸南門がそのまま寄進・移築されました。この南門は、寛永2年(1627年)初代白河藩主・丹羽長重によって建てられたもので、棚倉城の一部として唯一現存する大変貴重なものとなっています。また、明治を代表する小説家・田山花袋が長久寺を訪れた際に詠んだ歌「ほのぼのとあけゆく山に音すなり麓の寺のあかつきの鐘」からは、当時の長閑な棚倉の情景が浮かび上がってきます。花袋は青年時代に幾度か棚倉を探訪しており、先の歌を含む短歌集「棚倉百勝詠歌集」を記しました。
所在地 | 〒963-6121 東白川郡棚倉町大字花園字沢目176 |
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山本不動尊元朝大護摩祈祷(やまもとふどうそんがんちょうだいごまきとう)
大晦日の年越しから新年元旦の午前零時にかけて行なわれ、護摩儀を焚いて家内安全や除災招福、商売繁盛などを祈願します。また、境内では開運縁起ダルマや幸矢、熊手、破魔矢などが露店に並び、新年早々縁起物を買い求める参拝客で賑わいます。
場所 | 山本不動尊 |
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開催日 | 1月1日 |
Tel | 0247-33-2445 |
山本不動尊節分会豆まき式(やまもとふどうそんせつぶんかいまめまきしき)
山本不動尊には鬼がいないということから、「福は内」のみの掛け声で盛大に豆が蒔かれます。豆まき式のあとには「大根ぶるまい」という名で大根の煮物も振舞われており、山本不動尊ならではの節分の風物詩となっています。
場所 | 山本不動尊 |
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開催日 | 2月3日 |
Tel | 0247-33-2445 |
御田植祭(おたうえさい)
八槻都々古別神社には農耕を司る神が祀られており、毎年旧暦1月に能・狂言風の舞「御田植祭」が奉納されます。五穀豊穣を祈る神事で、国指定の無形民俗文化財となっています。
場所 | 八槻都々古別神社 |
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開催日 | 旧正月6日 |
Tel | 0247-33-3505 |
宇迦神社大祭[棚倉秋まつり](うがじんじゃたいさい[たなくらあきまつり])
町を挙げて行なわれる盛大な秋祭りで、宇迦神社から繰り出す神輿や、迫力ある山車の大曳きあいを一目見ようと、大勢の見物客で賑わいます。
場所 | 宇迦神社 |
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開催日 | 10月上旬 |
Tel | 0247-33-7533 |
山本不動渓流・ひびくらの滝(やまもとふどうけいりゅう・ひびらくのたき)
山本不動尊境内を抜け、ひびくらの滝へ向かって遊歩道がつくられています。この辺り一帯は「奥久慈県立自然公園」に指定されているので、大自然を満喫しながら久慈川の清流を眺めることができます。落差は3mほどで、遊歩道から滝の傍に降りることも可能です。
所在地 | 〒963-5685 東白川郡棚倉町大字北山本字小檜沢 |
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