希少な自然
ふくしま尾瀬の希少な自然について学んでみませんか。事前に調べてから訪れると、たくさんの気づきや発見に出会えるはずです。
ふくしま尾瀬の希少な自然について学んでみませんか。事前に調べてから訪れると、たくさんの気づきや発見に出会えるはずです。
尾瀬ヶ原は長さ6km、幅2kmに及ぶ本州最大の高層湿原です。現在の尾瀬ヶ原に当たる部分は、周囲の山々に降った雨雪が流れ出して浅い湖や三日月湖、後背湿地となり、およそ8,000年前から泥炭の形成がはじまったと考えられています。泥炭形成は堆積する時代の気候によって異なりますが、現在は1年間に0.7mmと考えられています。もしも湿原に1cmの足跡を残したなら、その回復には10年以上の歳月が必要となるわけです。
湿原に繁茂するミズバショウなどの水生植物は枯れても低温のため微生物によって分解されず水中に堆積します。
やがてミズゴケ類が湿原の中央部に進出し、枯れて堆積を繰り返すうちに泥炭層となって高層湿原を形成します。
ふくしま尾瀬の山々は成立年代や形成過程がさまざま。それぞれ近くにありながら不思議です。
標高2,356m。日本国内にはこれより高緯度に、より標高の高い山はありません。
成層火山ですが記録は約500年前の水蒸気噴火のみ。個々の噴火活動は明らかになっていません。
1889年、のちに尾瀬保護活動の第一人者となる当時19歳の平野長蔵が仲間と登頂に成功しました。その際に担いだ大権現の石祠が山頂に祀られています。
約8,000年前に岩屑なだれが発生し、尾瀬沼を形成したと考えられています。
麓の檜枝岐村から残雪が火打ちばさみに見えるからと言われています。
標高2,133m。全域が古生代の古い地層によって形成されています。長い年月の侵食によって稜線はなだらかですが、尾根と谷の差が深く、登山道にもその特徴が表れています。
江戸時代に編纂された『新編会津風土記』によれば、残雪期に駒のかたちをした雪形が現れることが由来とされています。
勾配のゆるやかな稜線には豪雪と冷涼な気候によって形成された高層湿原や池塘が広がります。
弘仁7年(816年)山上に駒嶽大明神が祀られたとされています。以来、ふもとの檜枝岐村では信仰の対象として崇められてきました。
標高1,926m。火山活動と長い年月の侵食によって、世界的にもめずらしい単一台地状の山容が形成されています。
田代山の開山は大正元年(1912年)。当時、魔物が棲むと恐れられていた田代山でしたが、湯ノ花地区の大山善八郎時澄と高野山の2人の高僧が登山道のない田代山を登り、迷信を打ち破って弘法大師の像を祀ったことから始まりました。大山善八郎時澄はのちに頂上へ太子堂を建立。現在の避難小屋がそれにあたります。
山上の台地には約20haの湿原が形成されています。湿原では、短い夏を咲き競うようにたくさんの花々が咲き乱れます。
尾瀬は高山植物の宝庫。生育が確認されている高等植物だけでも900種類を超えます。豪雪地帯の尾瀬では半年以上が雪の中。植物は5月中旬から10月中旬のわずかなあいだに、芽吹き、花を咲かせ、実を結びます。私たちがトレッキングを楽しめるわずかな期間がそのまま植物の短い一生なのです。そして尾瀬の動物や昆虫たちもこの植物の命の循環に合わせて命をつないでいます。
尾瀬に遅い春がやってきます。雪解け水で増水した湿原のほとりには尾瀬の象徴ミズバショウ。その脇に咲き乱れる黄色く小さな花がリュウキンカです。花言葉は「必ず来る幸せ」。冬が明けて必ず春となるように、生命の巡りを感じる輝かしい光景があらわれます。
山々が新緑に覆われる6月下旬あたりから、尾瀬の短くも美しい夏がはじまります。青空の下、そよ風にたなびくワタスゲを見届けた後、湿原はニッコウキスゲの山吹色に揺れます。池塘の中に小さくもきりっと咲く白い花はヒツジグサ。夜は天の川がゆらめくように瞬きます。
夏。尾瀬の湿原、沼、森には、都市部では考えられないほど多くの生きものが見られます。けっして近づいたり触ったりせず、いのちの営みをそっと見守りましょう。
お盆を過ぎると尾瀬は涼しい風が吹いて、周囲は少しずつ秋の色合いを濃くしていきます。見頃は10月半ば頃。紅や黄に色づいた広葉樹の森と一面に草燃える湿原は、大地が紡いだひとつながりのタペストリーと言えるでしょう。雨の日は濡れ輝く枯れ葉のコントラストも目を楽しませてくれます。
11月に入ると尾瀬はオフシーズン。人気(ひとけ)のなくなった大地は霜が降り、雪が舞いはじめます。半年の長き冬の積雪は3〜5メートル。厚い雪は凍てつく寒風から湿原を護り、次の春を待つ生命を育みます。